――何故、あなたが、この<法廷>を設立しその陪審員になろうと決意したのですか?
――あなたが、それをしなかったからにすぎません。
(ジャン=ポール・サルトル『シチュアシオンVIII』より)
一昨年12月終りから年が明けた昨年1月半ばまで、イスラエルがパレスチナのガザ地区へ激しい攻撃を行ってから1年が過ぎたところです。イスラエルは、この攻撃において、一般市民を巻き添えにした市街地攻撃や、白燐弾などの非人道的な兵器の使用などにより1400人以上を殺戮しました。これは明らかに看過し得ない戦争犯罪と言えます。このような許しがたい戦争犯罪が公然と行われる状況の中で、国際社会には現在どのような抗議の動きがあるでしょうか?
昨年5月31日に、「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」実行委員会が主宰をして開催されたシンポジウム「スピークアウトforアクション・イスラエルを変えるために」においては、板垣雄三さんが、1983年にイスラエルのレバノン侵攻に関する国際民衆法廷を組織した経験を語られ、戦争犯罪に対するこのような民衆法廷の意義と重要性が指摘されました。さらに、板垣さんは、昨年に入ってから活動を始めた「パレスチナに関するラッセル法廷」を紹介されました(※1)。また、このシンポジウムの第三分科会では、戦争犯罪に対する告発を行うにあたって、国際刑事裁判所に多くの制約と限界があることが報告され、市民レベルでの働きかけの重要性が指摘されました(※2)。今回のガザ攻撃を含む一連のイスラエルの戦争犯罪等の告発に関する国際社会の動向のひとつとして、ここでは「パレスチナに関するラッセル法廷(Russell Tribunal on Palestine)」(※3)の活動概況と意義についてご紹介いたします。
※1 小冊子「イスラエルを変えるために」(「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」実行委員会編)27頁参照
※2 同小冊子 45~56頁参照
※3 専用URL:http://www.russelltribunalonpalestine.net/
周知のとおり「ラッセル法廷」は、ベトナムで行われたアメリカの戦争犯罪を告発するために、イギリスの哲学者のバートランド・ラッセルが提唱したものであり、フランスの哲学者のジャン=ポール・サルトルが議長となって1967年に開廷されたものです。当時はまだ国際社会に、国際刑事裁判所のような司法機関が存在していなかったのですが、この法廷は、既存の国際法や協定等を頼りにしてアメリカのベトナム攻撃の違法性を告発したものです。サルトルは、「ラッセル法廷」の正当性は、その完全な無力さと普遍性に由来すると言っています。なるほどこの法廷は、司法機関ではなく、単なる私人の集まりに過ぎないから法の執行はありえません。しかし、第二次世界大戦について、ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判は、戦勝国による敗戦国に対する裁きといわれるわけですが、そこにおいて視点となった人道に対する罪という普遍的な基準を用いて、今度は戦勝国側のアメリカの戦争犯罪を裁くことができないか。そして、その戦争の不当性を誰の目にも明らかなように客観的に国際社会に提示できないか。そういう告発を、誰でもいいただの人間が、一介の市民であるということによって広く世界各国から選出しあって普遍的な法廷を形成して行うことに意義があるのではないか。当時の「ラッセル法廷」はそういう理念に基づいて開廷されたものです。
昨年動き出した「パレスチナに関するラッセル法廷」も、以上のような「ラッセル法廷」と同じ理念に基づいて設置されています。この法廷が目指すところは、現在イスラエル国家がパレスチナに対して行っている戦争、占領、植民地化に関する国際法違反と国際的な共犯関係を告発することです。呼びかけ人は、ケン・コーツ(ラッセル平和財団議長、イギリス)、ヌーリト・ペレド(サハロフ思想の自由賞受賞、イスラエル)、ライラ・シャヒード(パレスチナ自治政府EU代表)の3名。この法廷の組織は、ケン・コーツら9名によって構成される国際運営委員会(International Organising Committee)、国際的な有識者によって構成される支援委員会(The Support Committee)、財政面、市民運動、マスメディアなどへの情報発信などの支援を行うあらゆる国に設置可能な国民支援委員会(National Support Committees)、法的な専門家や証言者を集めた専門家・証言者委員会(The Expert and Witnesses Committee)によって構成されます。いずれの組織も、参加者は各国政府や政治権力の代表という位置づけではなく、あくまで市民として参加します。
この法廷の多様性は、支援委員会のメンバー構成を見ればわかります。エチェンヌ・バリバール、ノーム・チョムスキー、ケン・ローチ、イラン・パペ、エリアス・サンバー、ジョゼ・サラマゴ、ラジ・スラーニ、ハワード・ジンなど約120名の多彩なメンバーが揃っており、その国籍は、当事者たるパレスチナ及びイスラエルはもとより、イギリス、フランス、アメリカ、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペイン、イタリア、スイス、南アフリカ、アルジェリア、エジプト、レバノン、パキスタン、タイ、インド、オーストラリア、ブラジル等多数です。このような多様性は、この法廷が特定の国家や権力を代弁しているのではないことのひとつの指標と言えるのかもしれません。
この法廷の最近の活動としては、昨年12月16日に、ブリュッセルにおいて、セミナーを行っています。ピエール・ガラン、ステファンヌ・エッセル、ライラ・シャヒード、マルセル-フランシス・カーン等が講演を行い、この法廷の枠組み、ガザ紛争に関するゴールドストーン報告等の論評、EUの役割、法廷への準備などについて議論がなされたようです。そして、2010年3月1日から3日まで、バルセロナにおいて、最初の法廷が行われる予定です。この法廷においては、特に、欧州連合(EU)とその参加国が、イスラエルが行ってきたガザの封鎖や空爆、パレスチナの資源の収奪、東エルサレム併合、分離壁建設等に関して、パレスチナ人民の自己決定権を尊重し、人道上の国際法を遵守することを怠らなかったか否かという観点からその共犯性が裁かれることになります。この法廷の陪審員は、メリード・コリガン(ノーベル平和賞受賞・北アイルランド)、ジュアン・タピア・ギュズマン(判事・チリ)、ジゼル・アリミ(弁護士・仏)、シンシア・マッキニー(緑の党女性政治家・米)、マイケル・マンスフィールド(弁護士・英)、ジョゼ・A・M・パリニ(最高裁・西)、ロニー・カスリルス(作家・南ア)、アミナタ・トラオレ(作家・マリ)といった人々です。
この「パレスチナのためのラッセル法廷」には、いまのところ、日本からの参加者はないようです。日本は、パレスチナに関する市民レベルでの支援活動や学問的研究についてはたいへん水準の高い実績がありますが、この法廷に日本からの参加者がないというのは、少し不思議に思えます。
それにしても、1967年と2009年のラッセル法廷の間にあるのは、40年以上という時間の流れだけでしょうか?1967年にベトナム戦争に関するラッセル法廷が開かれたときに、フランスのドゴール政権は、ラッセル法廷参加のためフランス国内を通過しようとしたメンバーの通過ビザ発行を拒否して、開廷を妨害しようとしました(これらの当時の状況やラッセル法廷の意義や経緯については、サルトルの卓抜な洞察力と緊迫感の溢れる見事な文章がその評論集『シチュアシオンVIII』(人文書院刊)の中に収められています。)。さらには、当時のヨーロッパ各国政府はこの法廷が自国で開廷されるのを嫌がりました。法廷の担い手たちは、限られた少人数だったので、開廷まで多くの困難があったことでしょう。しかし、2009年のラッセル法廷はどうかといえば、開廷の記者会見にフランス大使までもが参列しており、多数の重要な人々が支援委員会に参加しています。これは、40年を隔てた時間の流れの中で、公衆はもちろんのこと、政府関係者の中ですら、人権を擁護したり、戦争犯罪に抗議することの重要性を重んじる意識が少なからず育ったことを意味しているのではないでしょうか?この意味において、ラッセルやサルトルの試みは「無力」ではなかったのです。このような歴史的進展を逆行させないで、さらに推し進めていくためには、こうした民衆法廷の結果を重視する私たち地球市民の国際世論が必要です。
なぜ、日本社会に生きる私たちが、イスラエル国家のパレスチナ人への戦争犯罪に抗議する必要があるのでしょうか?それは、私たちを含めた国際社会が平和を享受するためには、国際社会における「公正さ」を追求することが絶対に不可欠な前提となるからです。このような醜悪な戦争犯罪の違法性を告発することなく、無関心に放置しておくと、私たちも近い将来手痛いしっぺ返しを被ることになるでしょう。
(文責:ミーダーン 鈴木)