田浪亜央江
(ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉)
現在の中東情勢について思うところを、という趣旨で、「3・11」地震の数日前に原稿を依頼されていたため、間の悪いことになってしまった。このところ被災地のニュースと福島原発の状況の推移に気を取られてばかりで何も手につかないような状態だったし、日ごろ大切にして来た習慣(パレスチナやイラク発のアラビア語ニュースを毎日チェックすることも含めて)もかなり崩壊気味で、なんだか宙に浮いたような生活を送っている。リビアへの多国籍軍の攻撃の件や、ここに来てついに炸裂したシリアの民主化要求運動のことなど、書くべきことはいろいろあるのだが、果たして今どれだけ読者の皆さんに求められる情報なのかと思うと、どうも書く気力が続かない。ふがいない話で、すみません。
しかし宮城県南三陸町で、イスラエルの医療チームがついに診療所の設営を終え診察を開始したと知って、突然脳内でドーパミン放出が始まった感じだ。イスラエルが医療チームの派遣を準備中というニュースが出て以来、パレスチナ関係のメーリング・リストでは受け入れをめぐって賛否両論が起きていたが、「イスラエルなんていうとんでもない国の医療チームに、日本人の診療はさせられない」という趣旨の投稿もあったりして、かなりゲンナリさせられていたのだ。
こと相手がイスラエルとなると謀略論なども横行しがちだが、まず事実関係をひろっておく。イスラエルの医療チームは、日本政府が今回の地震で受けいれた海外政府派遣の医療チームとしては最初のもので、イスラエルが日本に医療チームを送ったのも、初めてのことだ。この「初めて」づくしで思い出すのは、2010年1月に起き、死者が30万人を超えたとも言われるハイチ地震だ。地震の発生から三日後には、最初にハイチ入りする外国救援部隊の一つとしてイスラエルの医療部隊の先遣隊がポート・プリンスに到着、屋外病院を設置して活動を開始して以降は、混乱した現地で「複雑な外科手術が行える唯一の」施設として機能したという。最終的には236人がハイチ入りしたが、そのうち218人はIDF(イスラエル国防軍)の兵士や将校だった。
日本のメディアでは「医療チーム」とか「医療スタッフ」という言い方で誤魔化されているが、今回だって派遣されてきた60人というのはIDFの国内防衛部隊と医療部隊の兵士や軍医だ。これだけ米軍や自衛隊の「活躍ぶり」を目にさせられていると不感症になりかねないが、これがIDFによる海外派兵なのだということは、強く意識しておきたい。これまでIDFが救援部隊を海外に派遣してきた例は、分かる範囲では八五年のメキシコ地震にはじまって、アルメニア、ルーマニア、ボスニア、ルワンダ、コソヴォ、インドなど。イスラエルの占領政策への批判が表立ってはなされない国の災害や内戦に乗じ、中東の外でイスラエルのシンパを出来るだけ作ろうという思惑は見え見えだ。であればイスラエルが今回すばやい派遣を決めたのは、日本がアメリカの「同盟国」であることに加え、イスラエルの占領政策をまったく批判しなくなったこの30年ほどの日本政府の姿勢も大いに関わっているのだろう。日本側の混乱のためにいくつもの国の援助・支援の申し出が宙に浮いてきたと伝えられるなかで、背景は不明だがイスラエルの救助隊の受け入れだけはやたらスムーズに見えたことも、注意しておきたい。
医療部隊の到着に先立って、イスラエルから送られて来たのはガイガー・カウンター300台。イスラエルのディモナにある「ネゲヴ核研究センター」内の原子炉に対して技術供給をしている、ローテム社の提供だ。このセンターのなかでイスラエルが核兵器開発を行なってきたことは公然の秘密で、「ディモナ」という地名はこの事実の暗喩としても使われる。まさかこんなかたちで「ディモナ」と「フクシマ」が結びつくことになるとは思ってもみなかったが、イスラエル側がここぞとばかりに張り切っている様子は、ウェブの字面からでもよく伝わって来ます。あーあ。
とか思っていたら、すでにディモナとフクシマは別の線で結びついていた。ディモナにある別の会社、マグナー社というのが、およそ一年前、福島第一原発にセキュリティ・システムを供給したというのだ(「ハアレツ」紙、3月18日)。原発施設内に立ち入る人物をモニターするための監視カメラと通報設備のようだが、その目的は「放射性物質をテロ攻撃に用いようとする」試みを防ぐため。となると福島第一原発の設計不良についての内部告発を握りつぶし、地震・津波対策への要請を無視しておきながら、「テロ対策」だけはちゃんとやっていたということになるわけじゃんか、東電。もともと「テロ対策立国」たるイスラエルのセキュリティ産業は有名だから、システムの供給元がイスラエル企業だったこと自体は驚くような話ではないのだが、東電の事業報告書とかプレス・リリースなんかには(ざっと探したところ)イスラエルのイの字も全然出ていない。他方このハアレツの記事では、嘘か本当か分からないが、「日本中の原発にウチのシステムを導入する取り決めができてるんだ」とマグナー社の社長が豪語している。
まあ私がたまたまイスラエルの話になると頭に血が上る体質なだけであって、「3・11」後に起こっているやたらグロテスクなさまざまな事象に比べたら、こんな話は小さいことだと思う。アメリカの「トモダチ作戦」のSFチックさもさることながら、イスラエルの核開発の支援国でもあるフランスの、原子力推進政策死守のためのなりふり構わなさにはまったく言葉を失う。だからイスラエルというマイナーな軸に読者の関心を無理に引っ張るつもりはないのだが、しかし右に書いたような事実が「災害対策よりテロ対策」という姿勢や風潮として要約することがもしできるのなら、コトは東電だけの問題ではないのだろうと思う。つまりそれは、パニックを恐れて放射能漏れの危険性を過小評価しようとし、避難対象圏を絶対に拡大しようとはしない、いわば人命よりも治安維持を重視しているとしか見えない日本政府の姿勢にも通じるからだ。
今回の出来事を、これまでの日本社会のあり方を見直すきっかけにしようという声があちこちから聞こえてくる。単にエネルギー政策の問題だけでなく、科学技術や成長、発展といった概念の見直しをも含めて、これまではあまり光を当てられなかった議論も、マスメディアのなかに登場するようになった。それは別に悪いことではないが、いま政府だけでなく社会全体で治安や秩序を維持するための心理的装置が発動されていることへの危惧と、今後の社会のなかにそれがシステムとしてどう織り込まれていくのかということについての問題意識は、決定的に不足しているように思う。それは支配者が上から押さえつけるというより、社会の構成員一人一人が原発事故の推移への不安をおし隠し、被災地のために「自分のできること」を考え、節電しながら大人しく日常生活を続けること自体がそれへの承認行為であり、そうやって主体的に維持されてゆこうとする治安であり秩序だ。こうやって社会の構成員自ら治安維持の担い手であるから、人命を軽視した政府の姿勢とどこかでつながり共犯関係となり、本当の政府批判は出て来ない。
異常事態のなかで平静を保ち、何かあってもまず「落ち着いて」いて、実際にはそんなはずないのにあたかもそのような社会であるかのように伝えられ、外部から称賛されつつ自画自讃もする社会。今回「パニックや略奪が起きない」などと日本のことが海外のマスコミで称賛されたとかいう話で、私がすぐ連想したのは、やはりイスラエルのことだ。湾岸戦争中、イラクのスカッド・ミサイルの攻撃にもパニックに陥らず「冷静さを保った」イスラエル社会や、反撃を自制したイスラエル軍の姿勢が海外から称賛されたことなんかを思い出す人もいるだろう。日本社会の「イスラエル化」というのは私の十八番なのだが、この異常事態のなかで黙って日常を送ることを美徳とするような方向も、やっぱり「イスラエル化」じゃないかとこじつけたくなる。
こうした「イスラエル化」とは対極のイメージとして、カイロのタハリール広場を中心とした祝祭的な民主化要求運動のことを思い出す人もいるだろうと思う。「中東で唯一の民主主義国家」というキャッチフレーズを掲げて中東のど真ん中に腰を下ろし、アラブの独裁諸国の非民主的ぶりを見下し続けて来たイスラエル国家とその国民にとっても、一連の民衆革命は自らの存在理由とアイデンティティの根幹にもかかわる出来事のはずだ。
エジプトの民主化要求運動について言えば、パレスチナを占領し続ける実体としてのイスラエル国家への「No」や「反」の声とは、あまり接点がなかった。むしろイスラエルによる占領とイスラエル国家の政策をノーマルなものとして受け入れ恒常化させる流れ、つまりアラブ社会自体の「イスラエル化」への流れが大きく変わったということが言えるのではないかと思う。その流れが一気に断ち切られたわけではないにしても、どこにたどり着くのか、当面見通せなくなった。見えないことは不安だが、イスラエル化に向かう一直線の流れに流されるだけではない選択肢は広がったのだ。
日本の行き先も、簡単に見通されてたまるか。国家によって人命より治安や秩序が優先させられていることが、これほど露骨に見える局面で、大人しくなんかしていてはいけない。怒りや不安を外に出そう!もっと騒ごう!
(初出:反天皇制運動「モンスター」15号)